いい家を残す、
いい大工を世に出す。
それが棟梁の使命やと
思っています。

木又 誠次 | 棟梁・代表取締役KIMATA SEIJI

一級建築大工技能士/一級建築施工管理技士/
二級建築士/一般社団法人MOKスクール代表理事
1979年生まれ、四條畷市出身。
大阪工業技術専門学校 卒業後、奈良・梅田工務店での修業を経て、2005年より木又工務店に入社。代表取締役 2代目棟梁。

「お前は大工にならなあかん」一度だけの父の言葉が刷り込まれた。

「お前は大工にならなあかん」
一度だけの父の言葉が
刷り込まれた。

幼稚園の時の夢は、仮面ライダースーパー1や警察官。「正義の味方」になりたかったんです。その夢が小学校に入って大工に変わった。なんでやろうと思って親父に聞いたら、「誠次、お前はな、お父さんの息子やから大工にならなアカンねんで」と言ったことがあったらしいんです。けど、父はそんなこと1回しか言ってないと。それが記憶に刷り込まれていったんでしょうね。

修業先の師匠、そして父。大工として尊敬できる存在が身近にいた。

修業先の師匠、そして父。
大工として尊敬できる存在が
身近にいた。

修業でお世話になった奈良の梅田工務店の親方の仕事ぶりには感動しました。一度弟子入りを断られたのですが、「せっかくだから」と作った家を見せてもらったんです。それが、しっかりとした数寄屋造りで、大工技術が冴えていてもう鳥肌が立った。「給料いらないから、弟子にしてほしい」と頼み込んで、住み込み修業させてもらいました。
たまに実家に帰ると、親父とばっかり話すようになっていました。休みの時に親父を手伝う日が増えていくと、大工として段取りがいいし、仕事ができるし、いろんなことを知っている。自分は『木又工務店』とは別の屋号でやったるつもりでしたが、「親父と一緒に」というより「この大工さんと一緒にやってみよう」と。それで戻ってこよ、と思ったんです。

自社だけでなく、日本の木造実務者のレベルアップと地位向上を目指す。

自社だけでなく、
日本の木造実務者のレベルアップと地位向上を目指す。

修業期間が終わると、大工はそのまま修業先に残って働くのが一般的ですが、親方は自分を木又工務店に帰してくれました。親方がしてくれたように、僕も大工のバトンを途切らせる訳にはいかない。どこに出しても恥ずかしくない大工を世に出すのが、棟梁としての使命やと思ってやってます。木又の職人は、自分から見てもきちっとやってる。仕事で嘘をつかない。だから、むちゃくちゃ信用してます。
「MOKスクール」は、僕に修業先を紹介してくれた建築家の三澤文子さんがご主人と主催されていた木造実務者の学び場。今は僕が代表理事を務めています。受講生は木質材料の研究者や大工、製材、設計士などの技術者、建築を学ぶ学生などさまざま。木造住宅や木造実務者自身のレベルアップを図る勉強会に、毎回100人近い受講生が参加しています。

大工が目利きし、現地で調達。業界的には異例だが、良質の材木を良心的な価格で仕入れできる。大工が目利きし、現地で調達。業界的には異例だが、良質の材木を良心的な価格で仕入れできる。

大工が目利きし、現地で調達。
業界的には異例だが、良質の材木を良心的な価格で仕入れできる。

料理人は市場に出かけて食材を調達するのに、なんで大工は材木市場に行かないんやろうと思ってたんです。だから、材木屋さんに紹介してもらった市場と時間をかけて信頼を得て、出入りできる関係を築いていきました。木が好きやから、いい材をたくさん自分の手元に置いときたかった、という気持ちもあります。うちは、四条畷から近い奈良県産の良質の吉野杉や桧を仕入れています。強くて美しい材を現地で調達するから、安くていいものが手に入るし、乾燥も加工も自社でやるから効率も費用もだいぶ抑えられます。もちろん、今のスタイルになるまでいっぱい失敗もしましたし、いっぱいお金も使いました。でも、その分自分だけのデータが蓄積できました。

家づくりの覚悟もお客様とともに背負う。しっかり聞く耳を持つ職人です。

家づくりの覚悟も
お客様とともに背負う。
しっかり聞く耳を持つ職人です。

施主様はローンを組んだりして、一生をかけて家づくりをする。家づくりを任された大工は、施主様のその覚悟も全部背負って、努力を惜しまずやってほしい。これは僕が師匠に言われた言葉ですが、僕も弟子たちに同じことを伝えています。ですから、打ち合わせにもかなりの時間をかけます。話を進めていくと、時には目的地を見失った船みたいに、いろんな考えが堂々巡りする時がありますが、その時間は決して無駄やないと思っています。迷う時間も大事です。大工というと、イカつくて、言うこときいてくれへん……と思われているみたいですが、僕らにとっては、そこもいいギャップになっています。

誰かのためにひと肌脱ぐのが、棟梁の役目。地元四條畷のために、できることをやっていきたい。

誰かのためにひと肌脱ぐのが、
棟梁の役目。
地元四條畷のために、
できることをやっていきたい。

修業が終わって、四條畷に帰ってきた時に感じたのは「えらい活気ないなぁ」ということ。小学校、中学校時代の仲間に「俺らでなんとかしようや」と声をかけて『四條畷青年団』を結成しました。神輿を作って、当時の市長や街の人たちを巻き込んで「畷祭」も立ち上げた。最初は煙たがられたけど、それでも頭下げて寄付を募って、いろんな人と顔を合わせていたら、だんだん頼りにしてくれるようになりました。
家を作るだけでなく、昔の棟梁は「まちの相談役」やったんだと思うんです。誰かが困ったときには「なんとかしよう」とひと肌脱ぐのが、棟梁の役目。大阪府北部地震で四條畷神社の一の鳥居と石灯籠が取り壊された時は、銀行に1000万円借金してから丸太を調達し、募金も募って総桧の鳥居と灯籠を作りました。四條畷に戻ってきて20年。祭りも青年団も、若い世代が続けてくれています。まちに活気も戻ってきて、おっちゃんたちからも「ありがとう」って言われて、僕自身も居心地良い場所になっています。

木又 誠次

木又工務店がある限り
一生お付き合いします。
これからもお付き合い
よろしくお願いします。

家を建てるまでやなくて、家を建ててから、大工は本当のお付き合いが始まると思います。木の家は、大工が手をかけ続ければ、100年でも住み続けられる。5年保証、10年保証とかのルールではなく、木又工務店があるかぎり、何かあったら責任もってすぐに駆けつけますから安心して欲しいです。僕らがいなくなっても、大工の技術を受け継ぐ弟子やその弟子が家を守り続けます。ホンモノの大工と技術を後世に残していくのは、そのためでもあるんです。倒産せえへん限り、一生お付き合いします。だから、これからもお付き合いよろしくお願いします。